有名なダイヤモンド(25) 「エンペラー マクシミリアン」

Four-Cs

Famous Diamond

「エンペラー マクシミリアン」 THE EMPEROR MAXIMILIAN

数奇な運命をたどった神秘的なブルー

重量:41.94カラット

カラー:I (強いブルーの蛍光)

クラリティ:VS1

カット:クッション シェイプ ブリリアント

産地:ブラジル

1860年、オーストリア皇帝フランシス ジョセフの弟マクシミリアン大公は、ブラジルの密林で植物調査を行う一行に参加していました。

滞在中彼は大きいダイヤモンドを2個購入しましたが、その一方は強い蛍光のために神秘的なブルーの発光現象がありました。

ナポレオン三世が率いるフランス軍が、ベニト ファレス大統領を追放し1862年から63年にかけてメキシコを征服した後、ナポレオンの側近や元大統領の敵は、メキシコ国民がマクシミリアンを皇帝に選んだと彼を説得しました。

彼は即座に例のダイヤモンドを携え、妻であるベルギー国王レオポルド一世の娘シャーロッタを伴い、1864年6月10日にメキシコ皇帝の座に就きました。

ただ、国民の大半は最初から彼に反対しており、彼の進歩的な政治思想も相まって、最初は彼をかつぎ上げた有力な勢力を離反させることになりました。

そんな中、米国大統領アンドリュー ジョンソンは、南北戦争後ナポレオンに対してモンロー主義を尊重し西半球から軍隊を引きあげるよう要求しました。

マクシミリアンが時間かせぎをしている間に、シャーロッタはヨーロッパへ行き応援を求めました。

しかし曖昧な返答しか得られず、精神のバランスを失った彼女は、その後死ぬまで一族の城で隠遁生活を送ります。

フランス軍が1967年にメキシコから撤退して間もなく、マクシミリアンは捕らえられ銃殺刑に処せられます。

銃殺隊と面と向かった時彼の首には紐がかかっており、その先には輝くダイヤモンドを収めた小さい袋が下がっていました。

マクシミリアンの死後、この石はシャーロッタに送られましたが、彼女は生活を支えるため石を手放します。

この石は、1919年にシカゴのジュエラー、フェルディナンド ホッツが入手し、再び世に姿を現します。

1934年のシカゴ万国博覧会では、この神秘的なブラジルの宝石が主役となりました。

ホッツが1946年に死亡すると、無名のコレクターがエンペラー マクシミリアンを購入。

1982年4月にクリスティーズのニューヨーク競売所で、競売人の用心深い槌の音が響き、ロンドンのディーラー、ローレンス グラフをこの石の最も新しい所有者と認めるのです。

本文の参考資料並びにソース:GIA DIAMOND GRADING